KAAT「木ノ下歌舞伎 勧進帳」を観ての感想文。

 神奈川芸術劇場KAATで、木ノ下歌舞伎の「勧進帳」(3/3(土)14:00)を観た。舞台は80分。
 通しての印象は「まあまあ」です。絶賛するほどよくはないと思った。

【よかったところ、面白かったところ】
1.義経一行が富樫たちが守る関を通り抜けるところを、富樫たちの場面、弁慶と四天王の場面、義経の場面、の3つに分割して、例えば富樫たちや義経の場面には、弁慶の発するセリフをスピーカーから流したところ。
 1つの場面ではあるけれども、それぞれの心情についてお客さんに想像させ、他の登場人物の台詞をスピーカーから流すことにより、分割された場面だけれどもお客さんの方で場面を統合し、複合的な理解を得ることができたのではないかと思う。

2.義経の四天王と富樫の番卒を同じ人が勤め、場面に応じて適宜入れ替えることにより、四天王も番卒も所詮家来に過ぎない(もっと言えば、弁慶、富樫、義経と同様、一人間に過ぎない)ことがはっきりしたところ。
 ただ、最後に富樫がコンビニの菓子袋を持って現れたところは、1人くらいは番卒に回してもいいのに(四天王は多分4人フルではいらない)と思った。

3.義経が階段を上がって引っ込むところ、階段の真ん中あたりから舞台を眺めるときの何となく晴れ晴れとしたような顔つきがよかった。(これからも苦難は続いていくのであろうが・・・)

4.舞台装置で舞台を挟んで観客が向かい合うことにより、関での弁慶、富樫の対峙とは、自分たちにとってはこのようなものなのか、とつかむことができたところ。ただ、対抗戦のように弁慶、富樫が客席に背を向けて演じるのでは舞台幅も足りないし、絵面のきれいさが味わえないな、と開演前に気になっていたが、流石に演技は普通の舞台のように展開されていた。

5.はじめの富樫と番卒たちとのやりとりの中で、首のような黒いものが転がっている中で、「僕たちもこうなるよ」と、今後の悲劇を暗示させたところ。
 ただ、幕切れの前、四天王や弁慶が踊っているのを観ている富樫、暗転の後、ラジオから流れてくるニュースを聞く富樫は、「命にかけて唯一の友達を得ました」みたいな雰囲気を醸し出していたが、本当にそれでいいのかなあ?

6.はじめの富樫と番卒たちとのやりとりを通じて、「日常の中の非日常が演劇である」ことを改めて実感したこと。

【うーん、と思ったところ。首を傾げたところ】
1.最も強い印象なのだけれども、「ここまで原作に忠実に現代の台詞にしなくてもいいのでは?もっと台詞などは切ってしまってもいいのでは?」と思った。
 大体、どうなるか、は頭に入っているので、換骨奪胎して今の芝居にしてしまってもいいのではないか?という印象は強く受けた。
 具体的には・・・結構忘れてしまったけど、問答、判官御手の辺り。大体、流れがわかっているところは眠かった。

2.忠実に現代の台詞、動きにしたことによって、結局「富樫がなぜ、義経たちの通行を許したのか」というところが、よくわからなくなった。歌舞伎の勧進帳は、何と無くの雰囲気で「弁慶の必死さに富樫がうたれて通行を許したのかなあ?」という感じで芝居が流れていくけど、今回、別に弁慶は涙を流すわけでもなし、よくわからなかったな。
 ただ、そんな中で感じたのは、「ここの場面は、別に誰がどうしたから義経一行が通行できた、というのではなく、観客の『通行させてやりたい』か『もともと通行できるものなんだ』という思いが、義経一行を通行させているのかもしれないな、ということ。そんな印象を持ったのは初めてでした。

くらいですか。
 

掛け声について

 昨日、古本屋で買ってきたばかりの「姿 武原はん片岡仁左衛門」(白洲正子監修、渡辺保著。求龍堂刊)を読んでいたら、気になるところがあった。
P61、平成5年12月、南座の「八陣守護城」御座船で幕になるところ。
「この数分間は、我を忘れる面白さであった。最初は狐につままれたようだった観客も、ここでは熱狂的な拍手で、場内に「松島屋」のかけ声がなりひびいた。」

 そうだよなあ。確かに「かけ声」、又は「掛け声」っていうよなあ、と改めて感じる。

 ぼくが歌舞伎を観始めた頃に買った、「歌舞伎はともだち」[入門篇](柝の会+ペヨトル工房・編。ペヨトル工房刊)の中の「若いのに!歌舞伎フリーク・歌右衛門フリーク」と題されたインタビュー(ぼくはこのインタビューにはいろいろ影響を受けたように思う。)のP173にも「かけ声までできる!」という項があるけれども、「大向う」という言葉は、P174の
「(笑)かけ声屋じゃないんですよ。御祝儀もらってませんから。私、いわゆる、「大向う」って嫌いなんです。何か役者に付く寄生虫みたいで。そう歌舞伎を見る眼もないみたいだし。声だって下手だし。本当に嫌。」というところに、「声を掛ける人」という意味で使われているようだが、声自体はあくまで「かけ声」であって、「大向う」という意味では使われていないように思われる。

 しかし、最近は、ツイッターのタイムラインなどを見ていても、「大向うをやっていい」「大向うがかかる」といった形で、「掛け声」=「大向う」という意味で使われていることも多いように感じる。
 ウィキペディアの「大向う」の欄にも
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%90%91%E3%81%86
大向う(大向こう、おおむこう)とは、
1.芝居小屋の三階正面席、またそこに坐る客を指す隠語・通言(歌舞伎座では、構造上3階B席から幕見席あたりを指すものとして理解されている。)、つまり大向うとは、舞台上から見た客席の位置に由来する。主として歌舞伎で用いられ、安価な席にたびたび通ってくる見巧者の客(歌舞伎座が設けている幕見席とは、そうした客のための席だったともいえるだろう)を指す。「大向うを唸らせる」といえば、そういった芝居通をも感心させるほどの名演であることを意味する。
2.1から転じて、大向うに坐った客が掛ける声、またそれを掛ける客のこと。主に歌舞伎の用語。本項で詳述。(以下略)

とある。

 ただ、本当に「掛け声」=「大向う」だったか、これまで歌舞伎を観てきた印象からすると、ちょっと疑わしい気がする。
 そこで、少し調べてみることにした。

 まず、広辞苑。芝居の用語を一般的な辞書で調べて、その意味が正しい、と言い切れるかはちょっと疑問だけれども、iPad miniに入っている広辞苑第六版ではこうなっているようだ。
「おお−むこう【大向う】
 (向う桟敷の後方にあるところからいう)劇場の立見の場所、すなわち一幕見の観覧席。また、その席にいる観客。目の肥えた芝居好きが多かった。転じて、一般の見物人。→大向うをうならす」

 これはちょっと間違っているんじゃないかなあ、やっぱり一般的な辞書だしなあ。当世、一幕見の観覧席に大向うの会の人たちは行かないだろう、たぶん。大体3階の下手か真ん中か上手の通路で声を掛けているか、空いた席に座って掛けている人が多いように思われる。
 まあそれはともかくとして、広辞苑では「大向う」=「掛け声」のことは意味していないように思われる。

 一応ググってみると、コトバンクというところでいろいろ百科事典とかの検索ができる。
https://kotobank.jp/word/%E5%A4%A7%E5%90%91%E3%81%86-39605#E4.B8.96.E7.95.8C.E5.A4.A7.E7.99.BE.E7.A7.91.E4.BA.8B.E5.85.B8.20.E7.AC.AC.EF.BC.92.E7.89.88

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説
大向う
おおむこう
劇場用語。舞台向う正面奥の観客席,およびそこに席を取る観客をいう。料金は安いが,鑑賞眼の高い庶民の観客が集るので,高級な桟敷席よりこの席の反応が重視された。舞台の芸の要所要所で,ここから俳優の屋号やその他さまざまのほめ言葉がかかり,芝居の進行に独特の興を添える。江戸時代には,率直で当意即妙な悪口も飛んだので,役者は大向うに気を使った。椅子席となった現代は,3階正面奥がこれにあたる。

世界大百科事典 第2版の解説
おおむこう【大向う】
劇場用語。向う桟敷の総称。現在では常設する劇場は少ないが,3階の客席後方に仕切られた一幕見の立見席をいう。この席は舞台全体が見やすく,何度も見るには好都合な安価なので常連客が多い。これから,転じて常連客のこともいう。大向うから適宜かけられる掛声は,舞台を盛り上げる。また,大向うの舞台に対する評価は,口コミとなって興行成績,役者の人気を左右する影響力を持つ。【富田 鉄之助】

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説
大向う
おおむこう
劇場用語。最上階にある客席、またその席の観客。昔の劇場で2階の後方にあった「大入場」、現代では3階席や立見席がこれにあたる。大衆席であるため、俗受けをねらうことを「大向うを当て込む」というふうに日常語化しているが、反面、この席には芝居好きの見巧者(みごうしゃ)が多いので一種の尊敬も払われ、その意味ではフランスのパラディparadisやドイツのオリンプスOlympsに通じ、日本でも天井桟敷(さじき)とよぶことがある。[松井俊諭]

 これらも客席や観客のことを指す、とは言っているけれども、「掛け声」=「大向う」とまでは定義づけていないように思われる。

 では、専門的な本はどう定義づけているだろうか。
 手元に2冊の事典類がある。
「【新版】歌舞伎事典(服部幸雄・富田鉄之助・廣末保編。平凡社刊)」
「【最新】歌舞伎大事典(富澤慶秀・藤田洋監修、神山彰丸茂祐佳児玉竜一編集委員柏書房刊)」
ほかにも事典関係はありそうな気がするが、とりあえず手元にはこれしかない。
 まず平凡社の「【新版】歌舞伎事典」から。P83。
「おおむこう 大向う 劇場用語。向う桟敷の総称。現在では常設する劇場は少ないが、三階の客席後方に仕切られた一幕見の立見席をいう。この席は舞台全体が見やすく、何度も見るには好都合な安価なので常連客が多いところから、転じて常連客のことをいう。大向うから適宜かけられる掛け声は、舞台を盛り上げる。また、大向うの舞台に対する評価は、口コミとなって興行成績、役者の人気を左右する影響力をもつ。→掛け声 富田鉄之助」

 これは世界大百科事典の解説と同じ。書いている人が同じなので当然と言えば当然か。
 ここでも「掛け声」=「大向う」ではなく、「掛け声」は別途、P110に
「かけごえ 掛け声 舞台の演技に対して、観客が掛けるほめことば。「成田屋」「三代目」「紀尾井町」「待ってました」など、俳優の屋号、名跡の代数、住居などを、人物の出入りや、演技が高潮した瞬間に独特な間合で掛ける。状況に見合った巧みな掛け声は、劇場内の雰囲気を盛り上げ、俳優の演技を際立たせるが、イキが大切。現在では一般の観客がかけることが少なく、舞台を盛り上げるため、掛け声をかける専門家がいる。昔はほめことばばかりでなく、「大根」「引っこめ」などののしることばもあって、俳優も緊張させられたものという。→大向う 高瀬精一郎」
という解説がされている。
 そうですねえ。イキなのか、間なのか。ぼくはイキより間が大切なような気もするが、こういう考え方もあるのであろう。

 次に、「【最新】歌舞伎大事典」を見てみよう。P22.
「大向う[おおむこう]
 劇場用語。江戸時代の劇場で、向う桟敷(二階正面)の後方の立ち見席。舞台からは最も遠い、いわゆる聾桟敷であるが、見巧舎が通う席とされる。近年の大劇場では三階席がこれに相当する。この席の観客から俳優の演技などに対して掛け声がかけられることが多いため、掛け声を意味することもある。中川俊宏」

 ここでようやく「大向う」=「掛け声を意味することもある。」という解釈が出てきた。ちなみに、掛け声についての項目もあって、
「掛け声[かけごえ]
 演出用語。主として俳優の登場、退場、見得、幕切れの柝頭、セリフの間合いなどに、観客から発せられる声。俳優の屋号、代数、居住地などのほか、「大当たり」「待ってました」「ご両人」「たっぷり」などと称賛を込めてかけられるが、かつては批判的な声がかかることもあった。声をかける観客の席から「大向う」とも呼ばれる。」
とのこと。演出用語なのかなあ?掛け声。まあいいでしょう。

 今度は、実際に掛け声を掛けている人たち、いわゆる「会の人」はどうとらえているのだろうか?残念ながら、2冊しか持っていない。
 まずは、掛け声についてのいろいろな文章を書いておられる山川静夫さんの「大向うの人々歌舞伎座三階人情ばなし」(講談社刊)から。ここには「第二章 大向うの成立」という項目があるが、山川さんは「大向う」と「掛声」は分けているように思われる。
 具体的な文章としては、P86.
「私たち大向うにとっては、掛声の掛からない歌舞伎はなんとなく寂しい。花道の七三で役者が大きな見得をした時など大向うからの掛声は不可欠だと思う。そしてそれは立派な効果音になっているのだと自負したい。芝居を盛り上げる一つの大切な要素なのだ。
 でも、いったい大向うの掛声などというものが、いつ、どうして、どこで生まれたのか−以前から”大向うの成立”についての興味はあった。服部幸雄著「歌舞伎のキーワード」(岩波新書)に、「大向う」の語源についてふれている(傍点筆者=このブログでは略)。

 江戸時代の劇場で、台帳(狂言台本のこと)のト書きに「向こう」とあれば、それは花道への出入口の部屋(江戸では揚幕、上方では鳥屋)を指し、「向桟敷」と言えば二階後方の観客席だった。いずれも舞台の上から眺めて「向こう」に相当する方向にある空間を指し示していた。」
 P88
「この文章を読んだ時、私は、これが大向うの掛声の原点なのだ、と直感した。」
 P100
「この種のほめことばは、明治二十九年に九代目市川團十郎歌舞伎座で『助六』を演じた時に吉原の幇間(たいこもち)がほめたのが、どうやら最後といわれているが、今日のいわゆる「大向うの掛声」に無関係とは思えない。つまり「大向うの掛声」とは、基本的に役者をほめる表現方法の一つなのだ。」

 これらを見るに、おそらく「大向う」=「掛け声」の意味で使っているのであれば、「大向うの掛声」と二重に書く意味はないように思われる。

 もう一つ、「会の人」の本から。いや、これは元「会の人」か。
 昨年出た「歌舞伎大向 細見」(中條嘉昭著、株式会社ブレーン発行、北辰堂出版株式会社発売)は元歌舞伎大向「弥生会」会員の方の著書であるが、いきなり総論として「一 大向とは何か」という項目がある。P21から。
 ここではまず、渥美清太郎の「日本演劇辞典」(著者渥美清太郎、発行所新大衆社)による
「おうむこう(大向)
 劇場用語。ズッと後方の観覧席である※註大入場、立見席等の席、又はそこの看客を指す。「大衆」の意味で使用される。以前は見巧者として、或は適切な掛け聲褒め詞の発生地として一種の尊敬を払われてゐたが、今はそれらも僅少なので、自然無智低級な看衆の意も含まれるやうになった。」
という意味を紹介したうえで、「この定義が、「大向う」の全てを現代的な意味で表現している訳ではない。即ち、大向うという言葉それ自体が、三つの意味を持っている。」と急転回し、
「・第一が、二階或は三階の後方に位置する立ち見席・座席の位置、即ち席の呼び名。
 ・第二は、常連客の人又は集団であって役者に対して声を掛ける個人、グループ。
 ・第三が、役者に声を掛ける行動、即ち掛け声を意味する。」
としている。これを読んでいる限りでは、現代になって語義が変化して、(少なくとも会の人の一部では)掛け声についても大向うの意味に含まれるようになった、といった感じで読み取れる。
 ただ、P25から26にかけて引用されている「カブキ・ハンドブック」(編渡辺保、著者・渡辺保児玉竜一・上村以和於・近藤瑞男・品川隆重・佐谷真木人児玉竜一(ブログ筆者注=と書いてあります。あれ?))の中で児玉竜一さんが書いておられる「大向う」の定義でも、
「「大向う」につきものなのが、掛け声である。」とされているようであり、「カブキ・ハンドブック」本体を読んでいないので何とも言えないが、「大向う」=「掛け声」ではないようにも思われる。
 
 なお、「歌舞伎大向 細見」は、児玉さんの文章の引用から、「歌舞伎役者からの大向うに対する評論・発言」に移るのであるが、そこで引いている十三代目片岡仁左衛門の随筆集の題名が「嵯峨談話」となっており、そこを見た段階で、この本大丈夫かよ、という気もする。(正しくは「嵯峨談語」) 


 とここまで、いろいろな本による「大向う」という言葉の使い方を調べた。
 ほかにも文献はたくさんあると思われるので、別の文献に当たればまた別の評価になるのかもしれないけれども、いわゆる「会の人」の意識も含めて、「大向う」=「掛け声」ということもいえなくはないが、通説的に「大向う」=「掛け声」とはいえないように思われる。「大向う」=「掛け声」という使い方をする人もいる、という程度であろう。
 そもそも、「○○屋」などの芝居の中の掛け声は、芝居の中にあるから何か特殊な性格を持つものでもないようにも思われる。「掛け声」は「掛け声」なのではないか。
 そんなことを踏まえれば、他の方の考え方はともかくとして、自分は、「大向う」≠「掛け声」と考えたい。やはり、冒頭の渡辺さんの文章ではないが、声自体は「かけ声」なんだろう、と思う。

 最後に、昨日買ってきた「嵯峨談語」(十三代目片岡仁左衛門著。三月書房刊。新装改訂版)の中からP75「おおむこう」という項目の文章を引用し、終わりにしたい。
「歌舞伎の芝居になくてはならぬのは大向こうの掛け声です。
 役者が舞台へ出る瞬間「○○屋!」と声がかかるのは誠にいいもので、役者はむろんいい気持ですが、お客様もいい気持だそうです。役者がいい役で揚げ幕から出ても声もかからず、シーンとしていては、お客様も気が乗って来ないでしょう。
 例えば、私が「吉田屋」の伊左衛門で、編み笠に紙子姿で揚げ幕から出た時「松嶋屋ッ!」と声がかかると、誠に芝居らしいムードになるのです。この大向こうの声も、東京と関西ではだいぶ違います。東京は早く詰めてかけ、関西はやや延ばして長くかけます。
 また、東京ではよく役者の住んでいる町名をいったものです。「明舟町ッ!」とか「甲賀町ッ!」といったように・・・・・。
 又時には困った声をかける人があります。去年の「顔見世の籠釣瓶」で、高麗屋幸四郎)の次郎左衛門が八ッ橋を一刀のもとに切りおろして、その刀をジッと見て「かごつるべは・・・」というと、大向こうから「よく切れるなあ」といった客がありました。これなぞはとんでもない半畳で、芝居をこわしてしまいます。
 私の父が「名工柿右衛門」を出したときのことです。苦心のすえ焼き上がった赤絵の皿を見て「出来たッ」と大きく一声叫ぶようにいって「おお、出来た(出来た出来た)」というところがあり、いつも大かっさいでした。ある日、父が赤絵の皿をジッと見て「出来た」という寸前、大向こうが「出来たッ」と声をかけてしまいました。そこで父はとっさに「これじゃッ」といいました。大向こうに先を越されて同じセリフをいうことを避けたのですが、次郎左衛門の場合、ほかにいうセリフもとっさには出ません。高麗屋もさぞいやだったろうと思います。
(後略・・・ここは大根という掛け声についての段落です。)」

芝居を観た後で。

 「できるだけ」という限定がついてしまうのですが、できるだけ芝居を観た後の感想をどこかに書きつけておくことにしています。
 といっても、紙のノートに書いただけだと散逸してしまう可能性が高いので、基本はツイッター。観たところと演目をまず書いて、後は思ったことをつらつら書いていく。
 できればツイッターの1つのツイートで演目1つの感想が書ききれればいいけれども、流石にそこまでまとめきれなくて、10くらいまで行くときもあります。
 理想は、
1.芝居を観た日、できれば幕間の時にささっと書いてしまいたい。
2.ツイートがただ単に役者名の羅列だけでなく、どこのどの演技がよかったか、脚本のどこの部分が興をひかれたかを書いておきたい。
3.感動したなら感動ができるだけリアルに伝わるようにしたい。
といったところだろうと思います。

 数年前に、「演劇界」で懸賞劇評があったときに、「劇評とは何だろう」ということについて、結構考えました。
 そのときの懸賞は外れて(選に漏れて)しまいましたが、文章を提出するまでに思ったのは、「自分がいいと思った芝居なら、ほかの人に観てもらいたい、と思うところを書くのが評というものなのではないか。」ということでした。
 ただ、ぼくは別に劇評家でもなんでもなく単なる芝居好きでしかないので、そこまでカッチリしたものを書かなくてもいいのではないかと思います。

 自分には、「本当に感動した芝居」の記憶がいくつかあって、その芝居を観たころのことについて、ちょこちょこ書きつけてある感想を見ることもあるのですが、常に感じるのは、「芝居を観たときの芝居の感想、印象とともに、当時の暮らしぶりとかが紐づけされているものだな。」ということです。

 先日、十七代目勘三郎追善の時の日記を分散してツイートしたら、たくさんの方に見ていただけたようなので、味を占めて、これまた過去の記憶の中で長く残っていくだろう、コクーン歌舞伎の時の書き付けを転載してみることにします。一部加工しています。

(ここから)
2003年6月27日(金)午前0時53分。

 bunkamuraのシアターコクーンへ。今日がコクーン歌舞伎「夏祭浪花鑑」の千秋楽。
 この芝居は途中、長町裏の殺しの場と、最後に団七と一寸徳兵衛が捕り手に追われるところで舞台後方の扉が開いて外から丸見えの状態になる。だから、舞台裏の搬入口から芝居を見よう、という魂胆。2ちゃんねるの「コクーン歌舞伎」スレとかでは結構人がいるという話だった。
 ずぶぬれの中、bunkamura通りを行く。9時くらいにシアターコクーンの裏の搬入口に来た。
 もう、100人〜200人くらいだろうか、ほとんどが女性で、浴衣を着た人とかもいる。搬入する車の駐車場の辺に立っている人もいるし、搬入口の入口のところに列をなす人もいる。とりあえず搬入口の入口のところに並ぶ。
 6時半開演で幕間込みで上演時間が3時間半、ということだから、あと1時間くらいは待たされることになるだろう。「長町裏」を見られないかとも思ったのだが、大きなうちわとかを藤浪小道具のトラックに積んでいるところをみると、もう終わってしまったらしい。
 ここからは長くなりそうなので、要点だけ。
 その後、搬入口の入口から中に入れてくれ、雨がざんざん降る中を天井がない車庫の内で待つ。おばはんも含めてとにかく女性多し。
 最後に出てくるパトカーのスタンバイも完了し、扉が開き、勘九郎橋之助がやってきた。拍手。手を振る人。前の方の人は屈んでいるので、結構見やすい。
 勘九郎橋之助は外の道まで行ってしまった模様。ファンの前を通るとおる。そして舞台に戻ってパトカーが舞台際まで侵入。これで幕。
 カーテンコールがすごかった。客席も総立ち。舞台裏組も拍手とてを振る。みんな興奮してきて、勘九郎も興奮して、少しずつ舞台裏組は舞台の方へ。そのたびにだんだん列が後ろになっていく。まあみんな前行こうとするからね。前が屈まないので後ろのおばはん連中が文句を言うが、大体彼女ら自身が前にいた頃には「背が低いから」とか言って屈まなかったんだから自業自得だ。
 ついに、コクーンの舞台に上がってしまった。
 一人一人列を作りながら、ぼくもコクーンの舞台へ。
 たぶん泥場とか作っているからだろう、板にはなっていなくて、布かゴザみたいなのが引いてあって、滑りにくいようになっていた。
 笹野高史さん(義平次役)がそばに見えたので、「楽おめでとうございます。お疲れ様」といって握手。すごいしわくちゃな手だった。
 勘九郎がそばにきた。「お疲れ様!!」といってハイタッチ。彼はもう顔の化粧にヒビが入っていて汗だくなんだけれども、嬉しそうにいろんな人と手をハイタッチさせていく。舞台上は舞台裏にいた人間で一杯。昔の阿国の歌舞伎踊りでもこんな感じで人が群れ踊ったのではないかと思わせるほどにみんな興奮して手を叩き、握手。
 獅童くんもそばを通る。「お疲れ様」って声掛けたけど無視される。いかがなものか。
 最後はみんなで上方の三本締め。「うーちましょ、しゃんしゃん、もひとつせ、しゃんしゃん、いわおうてさんど、しゃしゃんがしゃん」で〆。
 舞台から出るところで橋之助丈と握手。「お疲れ様でした。8月も頑張ってください」と声を掛けると「ありがとうございます」と返していただいた。これまた、顔の化粧にはヒビが入っていた。
 そばに七之助くんもいたけれども、女性と握手した方がいいだろうと思ったので、御辞退申し上げる。でも、顔は非常にきれいなつくりだった。女形だからかもしれないけれども。
 舞台裏にまた戻ったところで橋之助が手を振って、こっちも手を振ったり拍手したりするなか、また舞台と舞台裏の扉が閉まっていった。
 今回のこの演出(最後に裏を出す)は現代と原作の世界をつなぐ役割を果たしていた。前ここでやったときには長町裏では扉をあけたけど最後はやらなかったので、こういう、たくさんの観客が搬入口に集まる、ということはなかったと思う。
 今回、これをやったことで、団七や徳兵衛が、今の日本にでもいるようなヤンキーとかわらんのではないか、歌舞伎といって古いもののようにみえるけれども中の世界は今の世の中とそうかわらんのではないか、ということをうまく観客にわからせる効果があったのではないだろうか。
 あと、最後、搬入口からの客も観客に見せることによって、なんというか祭りのごちゃごちゃした雰囲気を全体として醸し出すことができたのかもしれない。そういう意味で面白い芝居だった。
 勘九郎はたぶん祖父である六代目菊五郎をかなり意識しているだろう。やってることがやっぱり六代目の来し方にだぶってくる。六代目は藤娘の演出を変えてしまったし、保名も変えた。華やかな五代目菊五郎の息として生まれ、活歴の九代目團十郎の膝下に育っているので、リアルにやる方向で歌舞伎を変え、それが今でも残っている。そのここ何十年かの伝統に勘九郎は新たな光をあて、替わった演出を定着させていこうとしている。
 これまで猿之助がそういう役割を主に担い、玉三郎も手がけてきた、ただ、彼らは異端の歌舞伎である。それは、門閥の問題から。
 門閥も由緒正しき勘九郎が替わった演出を試みることで、確実に歌舞伎は変わっていくだろう。もっとも、いつでも変わっていくのが歌舞伎であり、演劇であるのだけれども。
 8月は11日から野田秀樹の「鼠小僧」(歌舞伎座:八月納涼歌舞伎)である。あの感動の「研辰」の初日を超えることができるか。今日の感動的な楽の盛り上がりから考えると、期待できそうな気がする。
 夜の一番最後の芝居なので、平日であるが、できれば初日に幕見に行きたいと思う。
 というわけで、はっしー勘九郎と笹野さんに握手をしてもらった、しかもかの中島みゆきが「夜会」をやるというシアターコクーンの舞台に立ってしまった、という自慢話をお届けしました。
 おやすみなさい。

(ここまで)

 これなんかは、まともに芝居を観たわけではないのに、ぼくの中の「芝居見物の記憶」の中で大きなウェイトを占めている記憶です。
 このコクーンの夏祭の楽のことを思い出すたびに、当時は仕事もリハビリ中でのんびりはしていたものの、焦りみたいな気持ちがあったことも思い出します。
 そして、当時の中村屋は、みんなを巻き込んで、思い出を作っていくパワーがあったなあ、ということも改めて感じます。

 今のツイッターがどれくらい保存されるのかはわかりませんけれども、ぼくは、できるだけ芝居見物の印象を書き散らしていきたいな、と考えています。
 昨日の俳優祭の皆さんのツイートも、今後の自分の記憶に残っていけばいいなあ、と思います。(楽しかったみたいだし。)

追記
 検索をかけてみたら、たぶん、この方は客席からごらんになっていたのだろうと思います。

コクーン歌舞伎『夏祭浪花鏡』千秋楽。」
http://14845.diarynote.jp/200306260000000000/

助六の掛け声についての感想

 なかなかツイッターでは長い文章を書く場所がないので、これまでトリニータブログとかでお金を払っていたはてなブログに、長い文章を書くときの保存場所をつくりました。

 今日(2017/3/22)書こうと思ったのは、助六の掛け声について、です。
 当月は、歌舞伎座の夜の部に海老蔵助六がかかっていて、凄味が減ったという感想からやっぱりよかった、という感想まで、賛否両論あってなかなか面白いです。
 その中で、昨日(3/21)ですか、「大成田」という声がかかったと聞きました。
 さすがに、「大成田」という声は聞かないので、芝居をぶち壊しているような気がします。(観にいかなくてよかった、のかな?)

 掛け声は、舞台にうまくはまれば気持ちの良いものになるし、逆にぶち壊しになる場合も多いと思います。
 ぼくも3階や幕見で芝居を観る機会が多かったので、結構、「この声はうまいなあ」とか「この人はかけまくりだなあ」とかいう経験をしてきました。と同時に、芝居をより好きになってくると、劇場中継とかで流れた映像を録画しておいて、後でみて、「この役者のここが巧いのかなあ」とか考えたりすることもあり、その中で、映像中の掛け声の間が気になることもあります。
 今、たまりにたまったビデオテープのデジタル化をやっていますが、昔のほうが結構カオスだったように思われます。でも、本当に鋭い声を掛ける人は最近はいないように思います。

 そんな中、大向うの会の会員だという堀越さんが、御自身のブログの中で、助六の掛け声(大向う?)のタイミングで御自身の考えを書いておられます。
「大向う「助六由縁江戸桜」メモ公開」
http://ameblo.jp/kabuki400years/entry-12258636974.html

 なるほど、これは力作だと思います。大体感覚として「この辺」という意識はあるつもりですが、見える化ができていませんでした。敬意を表したいと思います。

 その上で、これまで観てきたなりの感想を書いてみたいと思います。(番号は堀越さんのブログの番号に倣います。)

 1番はまあ必要なのだと思いますが、いずれ2番の「とざいとうざい」の後の一礼のときに声がかかるときが多いので、重ねてかける必要もないかな、という気がします。(この辺、1番で掛ける人、2番で掛ける人、どちらかで掛ける人もいていいと思う。)
 3番、同意です。
 4番、そうですね。ここ、これまでの上演ではここ(鐘が鳴るところ)で「十寸見会!」とかかっていたと思います。
 この後、平成7年1月歌舞伎座なんかだと、口上の権十郎が立ち上がって膝をぱっと払うときに「山崎屋!」とかかっていたケースもあったと記憶しています。(この辺が巧い人がいたんだ。)4番に関しては、三味線の後河東節に入る前の鐘で「十寸見会」とやる人も(これ、会の人じゃないかなあ?)いるみたいです。まあこれはこれであるのではないかと。
 5番、6番、こんなところだと思います。
 7番、花道の出のところで掛かったほうがいいようにも思うけれども、3階だと本人たち見えてないんで、間が外れるリスクは怖いんじゃないでしょうか。別にかけなくて、8番だけでいいように思います。
 逆に8番は、「子どもきいやあ」「アイ、アイ」のあと、「よぉー」で鳴物が鳴り始めるときにかかるのは面白いなあ、といつも思って観ています。
 9番、揚巻が衣裳を見せるところですね。ここ、声いるかなあ?声掛かるケースが多いけど、普通に拍手でいいんじゃないかと思って観ています。
 10番、番新の出はどちらでもいいんじゃないかなあ。
 11番、白玉の花道の出も7番と同じで、別にかけなくてもいいように思います。
 12番、意休の「まことや」の後でいいと思います。当月はそんなにかぶっている感じはないです。
 13番、これも8番と同じ。
 14番、別にこれもいらないんじゃないかなあ。歩いていくだけでしょ。

 たぶんここの間、三浦屋女房が暖簾口に引っ込むときに何かかけてもらいたい感じはするなあ。

 15番、これは同意で、「あくたいの はつぅねぇ」のあとでしっかりかかるといい感じですね。
 16番、拍手がそれなりに入るところなのでいらないと思います。
 17番、いらないです。衣裳を見せるところは基本拍手でいいと思っています。
 18番、そうですか、そういう掛け方があるんですか。ぼくはなくてもいいと思うなあ。
 19番、反ったところで掛かる場合と、暖簾口に歩き始めたタイミングで掛かるときとあると思う。これは掛ける人の個性があるのではないでしょうか。
 20番、白玉は意休の横辺りを通るタイミングで掛かるほうがいいのでは。
 21番、幕見とかだと「はい」は聞こえないので、揚幕の「チャリン」が鳴ったら大きく掛かったほうが、本当に「待ってました」感が強くていいと思う。ここ、いつも思うんだけど、だれか「待ってました」って掛ける人はいないのか、と思ってしまうなあ。(もちろん揚巻の役者とかに失礼になってしまうとは思うんですが、成田屋助六でしょ、という意識もある。)
 22番、23番は、7番11番と同じで、3階からは見えないので、わざわざ掛ける必要はないのではないかと思います。間が外れるリスク高いと思うなあ。
もし、1階2階のお客さんを意識しているのであれば、そんなに掛け声なんて気にしてないし、出端に集中させてくれ、という思いの人もあるのではないかと思う。
 24番、あまりかかりどころだと思った記憶ないなあ。
 25番、3階のほうを見上げるところは、確かに何か掛かったほうがいいような気がする。でも拍手でもいいような気がする。
 26番、なくても芝居は成り立ちます。
 27番、左足を踏み出して傘を高く上げるところ、ここは写真でもいい場面だし、思いっきりかけてほしい。
 28番、出端に集中させてほしいなあ。
 29番、中央の客席方面を向いて傘を上げて端を持ち手でない指で持つところですね。ここは思いっきりかけてほしい。
 30番、31番、出端に集中させてほしいなあ。
 32番、ここ、「キチンと二つ目のツケを聴いて」のところが大事だと思う。間が早い人多すぎるよ。
 33番、別になくてもいいような気がする。拍手でもいい。
 34番、ここ、一つの極りではあるけど、たぶんいらないと思う。流していい。
 35番、今、DVDを見直したけど、ここは「つがもねぇ」のツケ2つ目のところでいいと思う。
 36番、同意です。
 37番、ぼくはいらないと思う。
 38番、同意なんですが、ここは粋をみせるところだから、「ちゃりん」でしっかりかけてほしい。
 39番はいいですが、40番は別にいらないと思う。でも掛けている人多いですね。
 41番、同意です。
 42番、たぶんいらない。
 43番、同意ですが、「よく言った」感を出してほしい。
 44番、別に普通の出でいいと思います。
 45番、これ、当月は「エヘン」でやっている人を見かけます。どちらでもいいというのに同意。
 46番、47番、ぼくはいらないと思うなあ。46番は掛けている人もいるけど、助六役者の集中をそぐことにならないかな。(そんな声で集中がそがれるとも思いづらいか。)
 48番、同意。
 49番、別にいらないような気がする。
 50番、これ、かなり難しいです。「抜かねえかぁ」で入ると確かにかっこいい。でもよっぽど鋭く入れないと難しいと思う。(これも前は鋭い人がいたので巧いなあと思ったことがありました。)あと、ここ、役者の動きをどうしても見てしまうところだと思う。
 51番、まあ、ここは掛かったほうがいいと思いますね。
 52番、同意。
 53番、別にいらないような気がする。
 54番、普通の出でいいと思う。
 55番、両方とも同意。でも普通の声で掛かってもいいと思う。
 56番、普通の出でいいと思う。
 57番から60番は同意。
 61番は別にいらないように思う。
 62番、63番は、二人が歩き始めて、満江、白酒売、の順番でもいいのではないかしらん。(62番がいらなくて、63、64、という印象かな。)
 65番、同意。
 66番、別に二人にかけなくても、2人目の意休にかければいいと、見物者は思う。
 67番、別にいらないと思う。(だんだん疲れてきた。さすが2時間のお芝居)
 68番、いらないと思う。
 69番、ここは留め役である揚巻役者にかかるとうれしいな。
 70番、背中を向けて歩き出すときに意休にかかればいい。
 助六の引っ込みは柝が入ったときに助六役者にかかるといい。そして、引っ込みのため走り出したら七三を過ぎたあたりでかかるといいと思って観ている。
 で、同時に上手から幕が閉まりだすから、そこで揚巻役者にかかるといい。
 
 とざっくりこんな感じじゃないかしらん。あくまでも自分の感想ですが。

 前からツイートしていることですが、別に声を掛ける人は、いきなりパーフェクトを目指そうとすると、たぶん掛けすぎになると思います。だから、6割か7割くらい掛かってればよし、くらいでいいんじゃないかなあ、と思います。
 あと、忘れてはいけないのは、あくまでも掛け声は「すさび事」であって、芝居がいい、と思ったときに自然に声が出るくらいの意識でいいんじゃないかと思います。でないと、なんか窮屈になってしまうような気がする。
 別にぼくは掛け声の専門家でもなく、ただ3階4階から芝居をまあ複数回観ているに過ぎない見物でしかないのですが、さすがに「大成田」はひどいと思ったということ、掛け声については、ここのところ何回かツイートしていた経緯もあり、堀越氏のブログはなかなか興味深いものでもあったので、ちょっと長めのものを書く気になりました。
 乱筆乱文はお許しいただければと思います。