助六の掛け声についての感想

 なかなかツイッターでは長い文章を書く場所がないので、これまでトリニータブログとかでお金を払っていたはてなブログに、長い文章を書くときの保存場所をつくりました。

 今日(2017/3/22)書こうと思ったのは、助六の掛け声について、です。
 当月は、歌舞伎座の夜の部に海老蔵助六がかかっていて、凄味が減ったという感想からやっぱりよかった、という感想まで、賛否両論あってなかなか面白いです。
 その中で、昨日(3/21)ですか、「大成田」という声がかかったと聞きました。
 さすがに、「大成田」という声は聞かないので、芝居をぶち壊しているような気がします。(観にいかなくてよかった、のかな?)

 掛け声は、舞台にうまくはまれば気持ちの良いものになるし、逆にぶち壊しになる場合も多いと思います。
 ぼくも3階や幕見で芝居を観る機会が多かったので、結構、「この声はうまいなあ」とか「この人はかけまくりだなあ」とかいう経験をしてきました。と同時に、芝居をより好きになってくると、劇場中継とかで流れた映像を録画しておいて、後でみて、「この役者のここが巧いのかなあ」とか考えたりすることもあり、その中で、映像中の掛け声の間が気になることもあります。
 今、たまりにたまったビデオテープのデジタル化をやっていますが、昔のほうが結構カオスだったように思われます。でも、本当に鋭い声を掛ける人は最近はいないように思います。

 そんな中、大向うの会の会員だという堀越さんが、御自身のブログの中で、助六の掛け声(大向う?)のタイミングで御自身の考えを書いておられます。
「大向う「助六由縁江戸桜」メモ公開」
http://ameblo.jp/kabuki400years/entry-12258636974.html

 なるほど、これは力作だと思います。大体感覚として「この辺」という意識はあるつもりですが、見える化ができていませんでした。敬意を表したいと思います。

 その上で、これまで観てきたなりの感想を書いてみたいと思います。(番号は堀越さんのブログの番号に倣います。)

 1番はまあ必要なのだと思いますが、いずれ2番の「とざいとうざい」の後の一礼のときに声がかかるときが多いので、重ねてかける必要もないかな、という気がします。(この辺、1番で掛ける人、2番で掛ける人、どちらかで掛ける人もいていいと思う。)
 3番、同意です。
 4番、そうですね。ここ、これまでの上演ではここ(鐘が鳴るところ)で「十寸見会!」とかかっていたと思います。
 この後、平成7年1月歌舞伎座なんかだと、口上の権十郎が立ち上がって膝をぱっと払うときに「山崎屋!」とかかっていたケースもあったと記憶しています。(この辺が巧い人がいたんだ。)4番に関しては、三味線の後河東節に入る前の鐘で「十寸見会」とやる人も(これ、会の人じゃないかなあ?)いるみたいです。まあこれはこれであるのではないかと。
 5番、6番、こんなところだと思います。
 7番、花道の出のところで掛かったほうがいいようにも思うけれども、3階だと本人たち見えてないんで、間が外れるリスクは怖いんじゃないでしょうか。別にかけなくて、8番だけでいいように思います。
 逆に8番は、「子どもきいやあ」「アイ、アイ」のあと、「よぉー」で鳴物が鳴り始めるときにかかるのは面白いなあ、といつも思って観ています。
 9番、揚巻が衣裳を見せるところですね。ここ、声いるかなあ?声掛かるケースが多いけど、普通に拍手でいいんじゃないかと思って観ています。
 10番、番新の出はどちらでもいいんじゃないかなあ。
 11番、白玉の花道の出も7番と同じで、別にかけなくてもいいように思います。
 12番、意休の「まことや」の後でいいと思います。当月はそんなにかぶっている感じはないです。
 13番、これも8番と同じ。
 14番、別にこれもいらないんじゃないかなあ。歩いていくだけでしょ。

 たぶんここの間、三浦屋女房が暖簾口に引っ込むときに何かかけてもらいたい感じはするなあ。

 15番、これは同意で、「あくたいの はつぅねぇ」のあとでしっかりかかるといい感じですね。
 16番、拍手がそれなりに入るところなのでいらないと思います。
 17番、いらないです。衣裳を見せるところは基本拍手でいいと思っています。
 18番、そうですか、そういう掛け方があるんですか。ぼくはなくてもいいと思うなあ。
 19番、反ったところで掛かる場合と、暖簾口に歩き始めたタイミングで掛かるときとあると思う。これは掛ける人の個性があるのではないでしょうか。
 20番、白玉は意休の横辺りを通るタイミングで掛かるほうがいいのでは。
 21番、幕見とかだと「はい」は聞こえないので、揚幕の「チャリン」が鳴ったら大きく掛かったほうが、本当に「待ってました」感が強くていいと思う。ここ、いつも思うんだけど、だれか「待ってました」って掛ける人はいないのか、と思ってしまうなあ。(もちろん揚巻の役者とかに失礼になってしまうとは思うんですが、成田屋助六でしょ、という意識もある。)
 22番、23番は、7番11番と同じで、3階からは見えないので、わざわざ掛ける必要はないのではないかと思います。間が外れるリスク高いと思うなあ。
もし、1階2階のお客さんを意識しているのであれば、そんなに掛け声なんて気にしてないし、出端に集中させてくれ、という思いの人もあるのではないかと思う。
 24番、あまりかかりどころだと思った記憶ないなあ。
 25番、3階のほうを見上げるところは、確かに何か掛かったほうがいいような気がする。でも拍手でもいいような気がする。
 26番、なくても芝居は成り立ちます。
 27番、左足を踏み出して傘を高く上げるところ、ここは写真でもいい場面だし、思いっきりかけてほしい。
 28番、出端に集中させてほしいなあ。
 29番、中央の客席方面を向いて傘を上げて端を持ち手でない指で持つところですね。ここは思いっきりかけてほしい。
 30番、31番、出端に集中させてほしいなあ。
 32番、ここ、「キチンと二つ目のツケを聴いて」のところが大事だと思う。間が早い人多すぎるよ。
 33番、別になくてもいいような気がする。拍手でもいい。
 34番、ここ、一つの極りではあるけど、たぶんいらないと思う。流していい。
 35番、今、DVDを見直したけど、ここは「つがもねぇ」のツケ2つ目のところでいいと思う。
 36番、同意です。
 37番、ぼくはいらないと思う。
 38番、同意なんですが、ここは粋をみせるところだから、「ちゃりん」でしっかりかけてほしい。
 39番はいいですが、40番は別にいらないと思う。でも掛けている人多いですね。
 41番、同意です。
 42番、たぶんいらない。
 43番、同意ですが、「よく言った」感を出してほしい。
 44番、別に普通の出でいいと思います。
 45番、これ、当月は「エヘン」でやっている人を見かけます。どちらでもいいというのに同意。
 46番、47番、ぼくはいらないと思うなあ。46番は掛けている人もいるけど、助六役者の集中をそぐことにならないかな。(そんな声で集中がそがれるとも思いづらいか。)
 48番、同意。
 49番、別にいらないような気がする。
 50番、これ、かなり難しいです。「抜かねえかぁ」で入ると確かにかっこいい。でもよっぽど鋭く入れないと難しいと思う。(これも前は鋭い人がいたので巧いなあと思ったことがありました。)あと、ここ、役者の動きをどうしても見てしまうところだと思う。
 51番、まあ、ここは掛かったほうがいいと思いますね。
 52番、同意。
 53番、別にいらないような気がする。
 54番、普通の出でいいと思う。
 55番、両方とも同意。でも普通の声で掛かってもいいと思う。
 56番、普通の出でいいと思う。
 57番から60番は同意。
 61番は別にいらないように思う。
 62番、63番は、二人が歩き始めて、満江、白酒売、の順番でもいいのではないかしらん。(62番がいらなくて、63、64、という印象かな。)
 65番、同意。
 66番、別に二人にかけなくても、2人目の意休にかければいいと、見物者は思う。
 67番、別にいらないと思う。(だんだん疲れてきた。さすが2時間のお芝居)
 68番、いらないと思う。
 69番、ここは留め役である揚巻役者にかかるとうれしいな。
 70番、背中を向けて歩き出すときに意休にかかればいい。
 助六の引っ込みは柝が入ったときに助六役者にかかるといい。そして、引っ込みのため走り出したら七三を過ぎたあたりでかかるといいと思って観ている。
 で、同時に上手から幕が閉まりだすから、そこで揚巻役者にかかるといい。
 
 とざっくりこんな感じじゃないかしらん。あくまでも自分の感想ですが。

 前からツイートしていることですが、別に声を掛ける人は、いきなりパーフェクトを目指そうとすると、たぶん掛けすぎになると思います。だから、6割か7割くらい掛かってればよし、くらいでいいんじゃないかなあ、と思います。
 あと、忘れてはいけないのは、あくまでも掛け声は「すさび事」であって、芝居がいい、と思ったときに自然に声が出るくらいの意識でいいんじゃないかと思います。でないと、なんか窮屈になってしまうような気がする。
 別にぼくは掛け声の専門家でもなく、ただ3階4階から芝居をまあ複数回観ているに過ぎない見物でしかないのですが、さすがに「大成田」はひどいと思ったということ、掛け声については、ここのところ何回かツイートしていた経緯もあり、堀越氏のブログはなかなか興味深いものでもあったので、ちょっと長めのものを書く気になりました。
 乱筆乱文はお許しいただければと思います。